神仏2柱の信教神社
子守り女神とお助け地蔵様
浅間神社には
神仏二柱の神様を賜ってます。
人柱は富士山頂上に鎮座する本宮 浅間(せんげん)神社の
御祭神であり、産育の神である
木之花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)の御分霊を賜り
もう一柱は行基菩薩(ギョウギボサツ)が巡錫の際に
この地で霊木を発見し作り上げたと伝わり、
地元では家族のお助けに駆けつけて下さると親しまれる
「ンぼこ産氏(オボコナシ)の地蔵様」を境内地に賜っております。

木之花咲耶姫命
神代を代表する美女神
大山祇神(オオヤマツミノカミ)の御息女にして、大変美しく、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト:天照大神の孫)の皇后になられた御方です。咲耶姫はご懐妊の際、貞節を疑われた事から、「貴方の子であれば何事も無く産めるでしょう」と証を立てるため、戸の無い産屋を建て、周りに火を放ち、御出産になられました。その中でも無事に3人の皇子を産みました。火の盛んな時に生まれたのがホデリノミコト。次にホフセリノミコト。次にホオリノミコトの三子である。
火照命_ホデリノミコトは海幸彦
火遠理命_ホオリノミコトは山幸彦のなで知られ
おとぎ話の元となるお話へと続きます。
故事にちなみ、家庭円満、安産、子安、水徳の神とされ、安産はもちろん、火難消除・航海・漁業・農業・機織(ハタオリ)などの守護神としても崇敬を集めています。
ンぼこ産氏 地蔵様
産育お助け地蔵
行基菩薩がこの地に巡錫の際、
白光を放つ霊木を発見し御尊像を刻み作り上げたもの。安産詣りの際、草履(昔はわらじ、今はスリッパ)をあげると、出産の時に地蔵様がその草履をはいて、お助けに駆けつけて下さることと言われている。

ンぼこ産氏の地蔵様のおはなし
「ンぼこ産氏の地蔵様」として、近郷に名高い羽入の浅間神社は、
木花咲耶姫と産育地蔵の神佛混淆の信教である。
孕みが目立つくらいに膨らんでくると「羽入地蔵様さお詣りしてござっしゃい」とあたりの人が勧める。参ると祈願の婦に布が授けられる。それを腹に帯して、母体と胎児のお守りなのだ。
お詣りの際、草履(昔はわらじ、今はスリッパ)を忘れずに上げること。
いざ出産の時、地蔵様がその草履をはいて、お助けに駆けつけて下さることになっているンだって。だから羽入の地蔵様は大忙しの菩薩様、それ東へ、やれ西へとしょっちゅう駆けずり廻っていらっしゃる。
※ンぼこ→山形弁で子供の意味
一服茶屋
「さいの婆ンちゃ」の話
昭和四十年頃のちょっと昔まで、神社の向かいに、ところてん、ロウソク、草履、豆腐、団子など並べてた一服茶屋があった。
ここの主「さいの婆ンちゃ」は信心家で、真夜中地蔵様がお出かけの物音をよく耳にして「ガラッと戸ォ開く音がして、惚れがらトットットットッと通り過ぎる足音して。不思議にお帰りの気配の音は聴こえねがったナ」と語ったものだそうだ。
文化二年(1805年)に書かれた「羽入村地蔵霊験記」を見ると、地蔵様の駆けずりの様子が随分と記されているが、お堂の格子戸が開く音や足音など「さいの婆ンちゃ」の証言と一致していたという興味深いお話。
産湯と足タライ
ンぼこ生まれる家では産湯の他にお湯を入れた足用のたらい(今は洗面器)も用意していた。
駆けつけて下さった地蔵様が足を洗うといわれている。
証拠に後で盤を見るとお湯が濁っているとか。
安産成就して肥立ちくれば、母子は清新の布を持参してお詣りする慣わしもあった。